小舟町八雲神社の祭禮(天王社 三の宮)
天王三社は「江戸の三天王」とも「祇園三社」とも云われ毎年六月各宮の祇園会が行われ天王祭と称された。小舟町が三之宮の祭禮を斎行するようになったのは今から340年程前の寛文六年(1666)小伝馬町より受継ぎ「小舟町持」となり宮元として小舟町天王祭を斎行したことに創まる。…撰要集
また往古は「持」が小伝馬町であったが、正徳中(1711〜1715)疫病が大流行、小伝馬町より神輿を小舟町へかりて疫病を祓い、それ以後「持」が小舟町に移り宮元として天王祭を斎行するようになった。山門の造り物や大根注連縄等飾ることも正徳中より奉行所に願い出て創まる。…武江年表
「江戸名所図会」を見ると、小舟町の天王即ち三之宮の祭禮は、「6月10日神輿神田の社地を発して小舟町の御旅所へ入り、13日帰輿するを例とする」と記し、「東都歳事記」に祭の光景を述べて、「行列は幟、太鼓、榊、祭鉾、四神鉾、太鼓、獅子頭、幣、小太鼓、神輿と粧い、御旅の間賑わいことに勝れたり。小舟町往還に行燈の如くに大いなる楼門をたて、夜々燈火を点ず。大行灯提燈をかがやかし、夜中の光景言語の及ぶところにあらず。」と記され、「氏子の町々は50数カ町にも及び、一、二之天王に比してその道筋多く、御旅所着輿は深夜又は暁に及ぶのを常とした。」とある。
また「守貞漫稿」をみると牛頭天王祭について、「神幸は、先に太鼓、次に大榊、玄武、白虎、朱雀、青龍、日月等の鉾、次に太鼓、獅子頭一対、次に神輿」とある。神輿渡御が夜になると産子の人々の提燈に迎えられるので三の宮の天王のことを別名「提燈天王」、またその道筋が十三里に及ぶので「十三里天王」、小舟町辺りには団扇問屋があり、周囲から団扇が「おひねり」のように投げられたため「団扇天王」とも呼ばれました。
また、小舟町の天王は将軍家より格別に重んじられ、祭禮以外にも台命により疫病など厄除祈願のため、江戸城大手門、南北町奉行所、日本橋橋上で神輿を奉安祈祷しました。
神田祭、山王祭が幕府による官祭であったこと、山車の祭であったことに対し、天王祭は一般庶民の神輿祭でした。神輿は宮神輿であり、そのスケールといい、錦絵や書物に取り上げられ方をみれば、江戸の神輿祭の原点と思われます。また御本社神輿の町会渡しの原点であるとも言えるでしょう。「江戸名所図会」や「東都歳事記」といった江戸期の名所案内的な書物にも、神田祭、山王祭とともにかなり細かく載せられています。
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