2009.07.11sat 

江戸下町・神田町歩き
〜江戸・神田の成立ちを求めて〜

参加者:13名+案内@西平=計14名
 


「江戸」と言う言葉の意味は、海(入江)への入口(戸)。
江戸の本流、平川(日本橋川)の河口は現在の平川門辺であったと言う。
河口周辺の狭い範囲が地名としての「江戸」の始まりであろう。
麹町台地の東側の河口から先には日比谷入江(地図の薄青部分)が広がっていた。
今回は、その台地と入江の淵を歩き平川河口から新たに作られた下流沿いに歩いた。

午前10時、集合場所は外桜田門。
 

 
外桜田門は、高麗門と渡櫓門が直覚に位置した枡形門。
江戸城の城門では田安門、清水門とともに重要文化財に指定されている。
 
 
地下鉄出口前に続々と集まる参加者に資料を渡し、
本日の町歩きの趣旨を説明するために高麗門を潜り枡形の広場へと移動
 
この桜田門から西側、半蔵門から千鳥が淵方面の濠は土手で囲まれている。
そして東側、大手門から平川門方面の濠は石垣で囲われている。
西側の麹町台地には必要のない石垣。
そして台地と入江の接点の湿地帯には土台を強固にするための石垣が必要であった。
その台地と入江湿地帯の接点となる象徴的な位置がこの桜田門と言うわけである。
 
 
皇居正面入口として余りにも有名な二重橋である。
手前、正面石橋と奥に正面鉄橋と二つの橋があるから二重橋ではない。
奥の鉄橋が木造の時の構造が二層に作られていたために「二重橋」と呼ばれていた。

右奥に見えるのは伏見櫓
 

 
坂下門、桔梗門(内桜田門)を過ぎるとお濠の角に美しい巽櫓が現れる。
お堀に映すその姿も石垣と松の並木に映えて美しさ倍増である。
写真左手奥に屋根が見えるのが、富士見櫓で本丸焼失後、江戸城の象徴的な櫓である。

大田道灌の室町時代・江戸城では富士見櫓のあたりに道灌公の静勝軒があった。

大手門へ向かう
 


大手門は、皇居東御苑見学の出入口の門(平川門、北桔橋門)の一つで
東京駅からも近いせいか外国人観光客や一般見学者が多い。
今回は東御苑は見学しないが、こちらで私の好きな風景を紹介した。
枡形広場へ入り振り返ると、高麗門越しに大手町のビル街を見ると江戸・東京の絶景。
 

大手門のほぼ正面、すぐ近くに明神様の御祭神である平将門公の首塚がある。
 周りをビルに囲まれた首塚ではあるが厳粛で妖気漂う雰囲気は異様でさえある。

かつて、武蔵国豊島郡江戸庄(郷)芝崎村のこの地には神田山日輪寺があり
その片隅のお社に平将門公の御霊が祀られた。
すなわち神田明神発祥の地である。
 


江戸城築城のため神田山日輪寺は神田北寺町(岩本町辺・右側の真ん中のピン)に移転させられた。
さらに1657明暦の大火後には浅草(西浅草)へ移転させられ現在に至っている。
移転した浅草の地は、昭和30年代まで浅草芝崎町(西浅草三丁目)と言った。

慶長年間(寛永までか?)に成立した神田・日本橋の町を「江戸古町」と言う。
上記地図の緑色部分が町人地であり、すでに町名もついている。
平川河口周囲を江戸と言ったが江戸城建築のために
江戸の町は、江戸城北東部の神田と東部の日本橋に移動してきている。
 


美しい木造の橋を渡ると平川門

江戸時代、大奥のお女中衆や罪人、死人の出入りに使われた門で不浄門とも言われた。
こちらも皇居東御苑見学用に開放されている門。
目前には毎日新聞社がそびえ建つ。
 

かつてこの辺りが平川の河口で、この先に日比谷入江が広がっていた。

平川橋の両端の欄干には擬宝珠が取り付けられていて
そこには製造年月日と作人の名がきざまれていて驚く。
慶長、寛永年間に作られ、作人には椎名伊予之守の名も読み取れる。
 
 
平川門の前には、大田道灌の江戸城築城550年を記念して作られた太田道灌公追慕の碑がある。
太田道灌公が1457年に初めての江戸城を建築して550年の2007年9月25日に除幕式が挙行された。
 

平川(日本橋川)の一橋を渡り川沿いを歩き神田橋へ向かう。
かつてこの地にも神田橋御門があったが明治期に取り壊され跡形もない。
徳川将軍家が菩提寺である上野東叡山寛永寺へ参るお成り道は
ここから現在の小川町交差点方面へ向かい、筋違御門(交通博物館跡辺)を抜けて向かう。

江戸時代、鎌倉河岸として江戸城建築の流通基地として
この地には三河町、鎌倉町と神田では最古の町が成立している。
江戸最古の老舗の一つ、江戸名所図会にも描かれた慶長年間創業の豊島屋が有名である。
 


日本橋川からの運河、神田八丁堀とも言われたかつての竜閑川が流れていた場所には
コンクリート造りの竜閑橋が記念に残されている。
竜閑川は昭和戦後に埋め立てられてしまったが、神田と日本橋の境界であった。
現在もその跡の細い路地が千代田区と中央区の境界である。
 

竜閑川跡地、JR高架下に今川小路が昭和の風情を漂わせている。
かつては20数件の飲み屋さんが集まって賑わったが現在営業しているのは7軒のみ。
 

最終ポイントは、今川橋跡。
日本橋から続く江戸の大通り「通り町筋」を横切る竜閑川に架かっていた橋が今川橋。
この辺りに今川某なる名主がいたことから今川橋と命名されたらしいが。
また、この近辺には井之頭の水源を発見し神田上水を通した大久保主水(忠行)の屋敷があった。
水を扱う役人として、主水は「もんど」と読まず濁りを嫌い「もんと」と読んだそうである。


「神田町歩き〜江戸・神田の成立ちを求めて〜」
楽しんでいただけたでしょうかぁ?
(私は楽しかったですぅ)
お疲れさまでしたあ、、、また、お会いしましょう♪

photo : sukiyaki & nishihei