昭和27年5月 戦後初の神田祭
戦後初の神田祭は、昭和17年以来10年ぶりである。

神田区は昭和22年に麹町区と合併し、千代田区となっている。
昭和25年には神田神社内で例大祭が行われ、
昭和27年に神幸祭を行う事を決定した。

戦前までの「渡御祭」の名は「神幸祭」と改称された。一の宮鳳輦が新調され、神幸祭の行列は氏子の町々を3日間かけて巡行された。この年の神田祭において初めて数カ町の町会神輿が連合で宮入参拝をした。戦後、各町競って大小の神輿を作り連合という形で宮入参拝を行うようになりかつての山車主体の祭とは違ったかたちで神田祭が盛大に華やかに復活したのである。

この年も国立博物館より旧神輿を借り出している。戦後、多二の若者たちは「多二青年会(女性二人含む)」を組織して、町会行事などに積極的に参加していた。今の「青年部」の初代と言えるだろう。この写真は「多二青年会」の男性メンバーである。
見るからに手作りの町会の旗が微笑ましい。後ろでは大神輿が休憩している。

青年部01
青年部02
多二青年会 三村、立山、臼井、石川、中林、前川、土田、栗原(女)、新藤(女)
昭和29年 神田祭
この年も国立博物館より神輿など祭神器一式を借り受けている。

多町大神輿に町内の人たちが大勢取り付いて担いでいる。
揃いの町半纏に半股引、足下は白足袋か裸足である。
担ぎのかけ声は「わっしょい」で神輿の中心に向かって寄り掛かるように担ぐ「平担ぎ」で
神輿は前後左右、時には回転しながら、さらに同時に上下に揉まれたりの荒々しい動き方で
もちろん女性の担ぎ手など一人としていない。

29年01 29年02
多二交差点で大神輿が担がれている。多町通りの見通しが良く空が広い。神輿の後方の建物は震災後に建てられた「山崎用品店」(現在は不動産屋)。その前には「沖田スポーツ」の看板が見える。 神輿の周りには見物人が大勢いるが、担ぎが荒々しいので遠巻きに見ている。子供などは恐ろしくて近寄れなかったものです。当時の多町通りにはビルなどはひとつもなかったのですね。
29年03 29年04
休憩中の神輿の後方は当時としてはたいへんにモダンな建築の「至誠堂医院」(現在は司二で開業中)。その奥には市場時代からの仲卸し「大常」川北宅の風情ある木造の二階屋が見える。 祭礼実行委員は浴衣に別誂えの半纏を着用し、町会役員は紋付に袴姿の正装で、この写真の左端に映っているのが前年の昭和28年に戦後の初代町会長になられたサンエックス先代社長の、千田杏三氏である。
昭和31年 町会初詣(明神さま)
今も続く元日恒例の町会初詣。

当時の町会の役員や青年会のメンバーが
戦後初代町会長の千田杏三氏
(前列左より3人目・サンエックス先代社長)
を囲んでの記念写真である。