詳しい資料は残っていないが、震災後の祭礼の写真もあるので財力があり町の復興が早い町会は独自で祭礼を行っていたと想像できる。震災後のこの10年間で神田の様相は一変したといっても過言ではない。
まず、江戸時代以来約300年間続いた『神田青物市場』が昭和3年に秋葉原へと移転した。これまで職住一致で相対取引をしていた市場は、秋葉原へ移り流通の基地となり競り売り取引へと変わり、市場人も通勤する形となったので神田多町周辺に住んで生活する必要がなくなったのである。
中央通り、靖国通り、昭和通りなど大通りをはじめ道路環境も大きく変化していく。震災を機会に都市が整備されていく中で翌昭和8年には町そのものが大きく変わった。住居表示変更の政策で町会の合併や統廃合が行われ、江戸時代初期からの由緒ある町名が数多く消えていった。
多町通りでの記念集合写真である。江戸時代よりの旧多町一丁目の祭礼の写真としては最後のものである。今となっては旧多一住人の気持ちをはかり知る事もできない貴重な一枚の写真である。