| 中国の三国志の英雄「関羽」は、日本各地の祭りの山車人形として数多く造られています。
平成18年11月4・5日、埼玉県の寄居の秋まつりにあたり、寄居の栄町会館内に山車人形「関羽」が展示されました。町の方々が盛り上がりから五日その日に急遽山車に載った栄町の「関羽」山車人形は、町の人々により明治以後百余年の間、大切に守り続けられています。
現在は手づくりでの復元であり将来に向けてかちょっぴり上向きですが、髭の立派な容貌は美しく、頭にはおなじみの頭巾を戴き、右手に唐鍔の長い太刀を持っています。その姿は品の良いものです。長い太刀は早稲田演劇博物館所蔵の「関羽」のように現在は下前の方に下げていますが、地元の詳しい方が持つ右手の傷みかたから立てて持っていた(江戸博物館にある神田須田町の再現山車の「関羽」のように)のではないかとのお話を聞きました。
この栄町の「関羽」の人形の頭を納める木箱には銘があり「初代原舟月」と記されていたためその信憑性を疑う方もおります。そして初代は山車人形を製作した形跡がないこと、明治期になっての三代目のものがほとんどである事や箱書きには「栄町」の記載のあること等から初代説はマニアの間では初代ではありえないことなりました。「原舟月」の特色である首の柄がなくそこに刻まれることの多い「原舟月」の銘は確認できませんでしたが、四角い穴はあり長い間の修理の際に柄が抜かれたことも考えられます。髭は馬や熊の毛が多いのですが人の毛のようにしなやかでした。髭のつけ根に簡単に釘が打たれており後日補修が行われたものと推定します。
また、この山車人形は口伝ですが同じ埼玉県の本庄市本町が所有していたものを購入したと伝えられています。本庄・寄居ともに明確な文書もなく、私が江戸天下祭の一件で面識がある本庄市本町の山車の関係者の方に新たな資料の発掘や確認をお願いしているところです。また、本庄市本町の「本町自治会誌」作成時での調査によると「関羽」の山車人形の作年は不詳ですが、日清戦争の関連で敵国の英雄では不都合ではとのことから明治二十八年に「竹田縫殿之助清兼」作の「翁」に変えられました。その「翁」のあと現存の「石橋」を昭和三年本庄の本町へ納めた「浪花屋」は山車や人形の作者「法橋原舟月」「法橋仲秀英」「古川長延」「鼠屋」など有名な人形師のうちの一人です。本名は庄田七郎兵衛で、人形師として浅草区茅町に店を構え明治二十八年の「東京諸営業員録」という職人録に載る人です。関東では本庄をはじめ深谷・飯能・高崎・・や青梅市森下町には山車の作人札があります。遠くは静岡県掛川市大須賀などまだまだいろいろなところにあり、各地にその作品が多く残っているものと思われます。「浪花屋」については明治からの最後の大きな山車屋であり多く町にその足跡が残っています。関係する町々の方々の様々な視点からの研究が必要であることを痛感しました。
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